思えば、あなたとの出会いはいくつもの奇跡が重なった結果でした。
2009年。
どうやってたどり着いたのか、今となっては記憶が定かでないですが、おそらく当時流行っていた曲名のタグから見つけたのでしょう。
静止画ながら、その超絶刻みに引き付けられ何度も再生していた「みさおレーシング」。
2022年の今聞いても、圧倒的な密度と色褪せない魅力を放っています。
2010年。
自分が「おっかけ」を始めたのはこの頃からだったでしょうか。
2008年からこの年まで兄貴MAD中心、時々晒しイベントタグ経由で他ジャンルも、という割合でウォッチしていたのが、徐々に音MADタグ全体に関心が広がるようになり、いろんな動画を見るようになりました。
その中でも変わらず好き、いや、ますます魅入られていったのは、限られた・短い素材で創意工夫しながら、静止画オンリーで音声を聞かせるという無骨なあなたの作品群でした。
いつかこんな動画を作ってみたいな、という淡い願望を抱き始めたのもこの頃だったように思います。
2011年。
作者として動画投稿をはじめ、少しでもあなたの境地に追いつきたいと必死だったあの頃。
そして、衝撃的だった6月の「お尻GONLADY」との出会い。
思えば、その年の10選の一つにこの動画を選び、マイリスコメントの寸評でラブレターを送ったことが直接的な交流の始まりでしたね。
2012年。
マイリスコメントの巡回で自分の10選マイリスを見つけられ、そこから突然、twitterに復活されてフォローしていただいた時、本当に、本当に嬉しかったのを覚えています。
ちっぽけな自分の存在が、憧れの作者さんに認知されたという瞬間、えもいわれない喜びに包まれたのが昨日のことのように思い出されます。
尻の妖精、ハイスピードver、ツクオリ素材、傍から見れば迷惑な内輪ノリだったかもしれませんが、しゃもじPをはじめ、動画のレスポンスを通じて交流できた時間が楽しくて仕方ありませんでした。
音MADという大河から見れば支流の支流、小さな川とはいえ、そこを一緒に開拓できるなんて、動画投稿を始める前には夢にも思わなかったことです。
必要以上に近づくのが怖く、限定公開ブログで交流したこともありました。
人前でリプライを飛ばしまくるのが恥ずかしいという自分の勝手を温かく受け止めてくださり、そこで公開していた動画制作時の裏話などにも逐次、反応してくださいました。
2013年。
この前年あたりからだったか、サンタマリアさん・あざとすさんといった、音MADとアイマスにまたがって活動されていた作者の方々に関心を抱き、自分はアイマスコラボPVを見る生放送を始めていました。
時々のぞきに来られていたあなたの方が、いつの間にかコラボPVを作る側に回り、刺激的な動画をいくつも投稿されていたのを知った時は驚きました。
また、まちぼんPやtataguさんなどの先鋭的な動画の手法を音MADの映像へも積極的に取り入れ、それがBaN長さん・影莉央さんといった次代の作者さんへも受け継がれていく様子を見ていた時は、ちょっとしたブレイクスルーの瞬間を垣間見たような気分になりました。
(ご本人からは事実誤認だ!と言われてしまうかもしれませんが…)
この後、2015~2016年頃からでしょうか。
環境の変化を厭い、閉じた空間で細々と活動する自分にとって、刺激を求めて新たなコミュニティを開拓していくあなたが、徐々に遠い存在になっていくような、そんな感情を覚える瞬間が増え始めました。
それでも、合作や共作といった目に見える形ではなくとも、どこかで繋がっているという不思議な連帯感のようなものがありました。
「セロリタベテル!」の0:50~、ギャック、
「真面目に年を越さないと叱られるから」、
「尻祭り」、「尻、無音、窓辺にて。」…
それとは明言されないレスポンスを動画で頂ける瞬間に、嬉しさというか、えもいわれぬ温かみのようなものを覚えていました。
近年は合作でご一緒する機会もありましたが、そのたび、向上心のない自分は音声も動画も「すごいなぁ…」と仰ぎ見るばかりでした。
2021年。
マイリスコメントを機に始まった交流から気付けば10年。
ひっそりとTwitterが消え、Tumblrも消え、ご自身のニコ生コミュも消え、そして私のコミュからも抜けられ、もう手が届かない人になってしまいました。
いや、むしろ「憧れを抱きながら近づくことが叶わない」という、10年前の距離に戻ったと言う方が的確かもしれません。
自分が初投稿にKYMを選び、またバトルドームで積極的に動画をツクっていたのは、(その当時は)静止画でもある程度見てもらえるという動機もありましたが、やはりKYMとバトルドームの両輪で活動する、あなたを筆頭とする同系統の作者諸氏への憧れがあったように思います。
また、自分の動画を振り返っても、オシリオドル、クンニしろLADY、煉獄来航など…これらの動画は、あなたの動画との出会いがなければ制作を思い立たなかったかもしれない、あるいは作っていたとしても構成が大きく変わっていたかもしれません。
自分の動画の一部が、あなたの作品の一部にもなり、それをまた再び自分の中に戻し入れる…
今振り返ると、自分からは積極的に動画間のレスポンスリレーを返すことができなかったようにも思いますが、こうしたやりとりは自分自身の動画制作の歴史の一部にもなっています。
この喩えが適当かは疑わしいところですが、あいさつも、しゃざいも届かない今は、手の小指を切り落とされたような心持でいます。
生死には左右されないものの、小指がなくてしっかりつかむことができない、そんな悲しさともどかしさを覚えています。
もう届くことはないのかもしれませんが、往時を偲んで、叶わなかったあいさつで筆をおきたいと思います。
お誕生日、おめでとうございます。