小分けにして書いてきた記事の続きです。
その1
その2
その3
エンドロールの最後の方と、エンドロール全体を振り返って思うことなどを
中心に書き連ねておこうと思います。
●最後
黒板に貼られた写真はいずれも「泣けるお尻」タグの付いた動画のうち、
空を静止画/動画中に含むものを選んで貼り付けたものです。
またこの先の展開も、主に「泣けるお尻」タグの動画から着想を得て構成しています。
ここからの映像のストーリーについては、あくまで個人的な解釈ということにしておきます。
こちらから破綻のない動画のストーリーを提示するよりは、ある程度見る側に
解釈を委ねられる余裕がある方が、いろんな動画の楽しみ方ができると思うので。
GJ部ED「走りだそう!」の映像から。
また、同曲の音MAD「お尻だそう!」を踏まえて。
しゃもじPはニコニコから姿を消してしまったけど、悲しんで立ち止まってはいけない。
走りださねば、という決意。
ノートの青い罫線は、しゃもじPが投稿したお尻MADにあった、お尻の透過に失敗して
青い線が入っている状態のイメージも重ねています(流尻群のyouあたりの動画を参照)。
また、この付近の動画における、文字→動画→文字というという構成は
音MADLIVEの生クリさんの動画を意識しています。
「星織ユメミライ」より。
また、同曲の音MAD「星織シリミライ」を踏まえて。
たとえニコニコから去ったとしても、この世界のどこかにしゃもじPは生きている。
また直接会うことはなくても、作品を通じて、彼の遺した発想や技術やノリを
振り返ることができる。それに気付くことができた嬉しさを噛みしめています。
「泣かずにいるよ」とずっと約束したけれど、嬉しさなのか、寂しさなのか、
はたまた感極まってか、思わずノートに涙がこぼれてしまう。
もう泣かないと約束したのだから、こぼれた涙は拭いて、前を向かなければならない。
ここの歌詞は「Star☆Glitter」そしてtmboxに投稿された音MAD「Star_oshiritter」より。
実はエンドロール動画制作前の時点で、連打らさんからお尻メドレー制作中の旨を
報告いただいており、その中で「メドレーの最後にStar☆Glitterを使う」ことを
事前にお話いただいていました。
ということで、そちらの動画ともリンクさせられるよう
流尻群でも最後に持ってきています。
たとえあなたが既に転生して、見る専として帰って来ていたとしても、
何度でも何度でも私たちは、お尻MADを作るたびにあなたの名前を呼び続けることでしょう。
そして「ごめん」と声をかけるその束の間だけ、
私たちは、あなたと再会を果たすことができるのです。
これからもきっと、いろんな作者があなたへ会いに行くことでしょう。
新たなお尻の音を、あなたの元へ届けるために。
●エンドロール全体を振り返って
ここ数年の音MAD-mixの流行を見ながら、一つのことを考えていました。
「特定のコミュニティ内での共通理解に基づくが、知識がなくとも成立はする」
という言説はアリなのか?
2011年までの音MADしか見ていない人が、ずっと音MADを見てきた人と
同じようにはラー親コアを楽しめないのではないか?
ここまで読んでいただいた方にはお分かりの通り、流尻群には7年近く前の状況、
またそれ以前の「しゃもじP」「尻の妖精」を取り巻く環境を知らないと
楽しむことのできない「内輪ネタ」があふれています。
流尻群の静止画まとめ、そしてエンドロールの動画を作るにあたって、
こうした内輪ネタをどこまで入れて良いのか非常に悩みました。
「もう当時の状況を知る人も少ない以上、誰が見ても楽しめるものにすべきなのでは?」
「しかし、そうすると『自分が本当に作りたいもの』からかけ離れてしまう」
こうした葛藤もありましたが、最終的に
「当時を知る人が楽しめればそれでいいや」
という開き直りに至りました。
そもそも尻の妖精自体、伸びを狙って投稿するような代物ではないので、
万人受けを目指しても仕方ないというところはあるのですが。
流尻群は「しゃもじP失踪」「合作自然発生」といった偶発的な出来事を
合作の完成によって最終的に「一つの物語」に紡ぐことができた動画だと考えています。
合作の一つの形として提示するには特殊過ぎるきらいはありますが、
動画外の情報(ストーリー)を取り込んだ動画、というものにはまだ
いろいろと可能性があるのかもしれないな、と作りながら思いました。
みんなもお尻だそう!
おしり